[ novel ]

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★ ★ 001 ★ ★

俺は何の変哲もなく普通に生きる26歳の男だ。

普通の家に生まれ、普通の幼少期を過ごし、普通の学校に入り、少しつまらない青春を送り、普通の会社に就職した。

仕事についてからは毎朝同じ時間の電車に乗って通勤し、単調なデスクワークをこなして寄り道もせず、普通に帰宅する。

ね、普通でしょ。

趣味は週末の街中を自由気ままに散歩すること。

好きな街は新宿、渋谷、原宿、秋葉原、下北沢。

俺が好きなこれらの街にはそれぞれ強い個性があるように思う。

そして、そこに生きる人たちもまた特異な雰囲気を持っている。

それらを見て、俺自身もその中に溶け込むのが、普通な毎日を生きる俺には堪らなく心地よいのだ。

 

★ ★ 002 ★ ★

今日はとてもいい天気だ。

11月も半ばを過ぎて、年の瀬の匂いが感じられるというのに陽射しが強く、春のように暖かい。

週に一度の休日。

俺はお気に入りの音楽をポケットに詰め込んで、邪魔な物は持たず手ぶらで渋谷の街を歩く。

今日の音楽は、スティーヴ・ライヒの「ピアノ・フェイズ」。

渋谷という街は常に人と、流行と、活気に溢れていて、この街を歩くといつも何か新しいことに出会える。

普通な日々から抜け出すためにはとても貴重な刺激だ。

パルコ前に気の早いクリスマスツリーが飾られ、その向こうで中田ヤスタカの巨大ポスターがコチラを睨んでいる。

私は、人波と、右耳から左耳に抜けていく音のうねりに身を任せてただ気の向くままに足を進める。

彼女と出会ったのは、そんな暖かい冬の日だった。

 

★ ★ 003 ★ ★

渋谷の町を燦々と照らしていた太陽に薄い雲がかかり、視界がワントーン暗くなった。

空を見上げてみる。雲と太陽が作るコントラストや、そのグラデーションを見て、その美しさに無意識に俺は微笑んでいた。

ふと前を見ると、同じように上を向いて微笑んでいる女性がいた。

足早に流れる人のうねりの中で、俺と彼女の時間だけが、別の時間軸でゆっくりと流れているような錯覚に陥った。

彼女がこちらに気がついて、一瞬目が合うと、彼女は軽く微笑んで後ろを振り返り歩いていってしまった。

雲が流れ、太陽が元の眩しさを取り戻し、辺りが明るくなったときには、彼女はもう見えなくなっていた。

 

★ ★ 004 ★ ★

夢をみた。

マンホールの中に入り、深く深く、ひたすらに降りていく夢だった。

見上げると穴から光が差し込んでいる。

外からの光はだんだんと届かなくなり、恐怖心が頭の中を支配しはじめたときに、俺は携帯電話の着信音で目を覚ました。

脳が半覚醒の状態で、携帯電話が鳴っていることを理解するまでに時間がかかった。

薄っすらと汗を掻いた手で、枕元に置いたはずの携帯電話をごそごそと探る。

携帯を開くのが少し遅かった。着信は途切れ、ディスプレイには不在着信1件とだけ表示された。

窓の外から雨がコンクリートの壁に叩きつけられる音が聞こえる。

 

★ ★ 005 ★ ★

外は久々の雨だった。

明け方から降りだした雨は勢いを増し、明日まで止まないそうだ。

ベッドから出て、見るつもりもないテレビをつける。

いつもと同じようにパン一枚だけの朝食をとる。味は美味しくも不味くもない。

こうして今週もまた、何の変哲もない普通の毎日が繰り返される。

月曜の朝はいつも気持ちが落ち込む。寝覚めが悪いと特にそうだ。

いつもの時刻にいつものようにコーヒーを飲みほし、いつものように家を出る。

なにか物足りなさを感じながらも、心のどこかで今の生活に満足している。

そんな矛盾した俺の心を埋め尽くすかのように、雨は静かに、そして確実に俺の周囲の普通な世界に降り続ける。

 

★ ★ 006 ★ ★

年中マスクを欠かさず付けているスーツ姿の中年男性、ギターを担いだ学ラン姿の少年、何の仕事をしているかわからないどぎついメイクの女性。

いつもの電車で見るいつもの顔ぶれ。

この人たちも普通で単調な生活を繰り返しているのだろうか。

会社で単調なデスクワークをこなし、特に何のミスもなく大量の書類が処理されていく。

最近、隣のデスクに転属してきた男は会社のパソコンでツイッターをチェックしている。暇な仕事だ、それもいいだろう。

この単調な仕事において、一番の敵は睡魔だ。夜しっかり睡眠をとろうが何をしようが、やつらは有無を言わさず襲いかかってくる。

隣の男はヤフーオークションのページを見たまま船を漕ぎ始めた。部長に見つかれば思い切り叱られるだろう。

17時ちょうどに仕事を切り上げ、隣で寝ている怠け者の背中をポンと叩き会社を出る。

朝方から降り続く雨は勢いを落とすことなく地面に小川を作っている。湿った冷たい空気が露出した肌に纏わりつく。

今日は家に帰る前に、ある人と落ち合うことになっている。俺はいつもとは反対の方向に走る電車に乗り、新宿に向かった。

 

★ ★ 007 ★ ★

色とりどりのイルミネーション。

大きくクリスマスと書かれたビラを配るはっぴ姿の電気量販店の店員。

白い息を撒き散らし早足の通行人に歩調を合わせる居酒屋の呼びこみ。

年末の新宿は騒がしい。

平日だというのに人でごった返したアルタ前広場を横切り、俺は一軒の居酒屋に向かった。

ブラックのレザージャケットと大きなバックルの真っ赤なベルトを着けているに違いないあいつに会うために。

 

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